白水の津

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雇用市場の公共性

 久しぶりの更新です。今回は、「学歴フィルターの是非」という観点から、雇用市場において企業が果たすべき義務について考えていきたいと思います。

 

公共性と効率性という概念

 このジレンマに悩まされる機会というのは、意外と多いものです。

 学歴フィルターを例にとりましょう。難関大学卒業者に優秀な人が多いという相関関係はありますが、因果関係まではありません。ここで長くは論じませんが、因果関係を立証するということは本当に難しいのですし、安易に決めつけるべきことではありません。

 しかし、その「相関関係」をもってして、一定難易度以下の大学の学生を一律で不採用とし、効率的に就職希望者を捌くことは、果たして正義なのでしょうか?そもそも大卒資格は必要なものなのでしょうか?

 自由主義者はこう考えます。

 

経済的自由の原則:資格は必要最小限にする

 雇用契約の原理は単純です。人を雇いたい企業と、企業で働いて収入を得たい人とが合意をする。この合意の自由を、経済的自由の立場は擁護し、守り抜きます。

 優秀なビジネスマンになるうえで、大学を出ていることが必ずしも大圏航路であるとは限りません。なんなら学校すら行かず、ホームスクーリングを経たうえで、コミュニケーション能力の育成は習い事にアウトソーシングした方がいいかもしれない。経済的自由主義の価値観は、「どのような道が成功なのかは分からないし、何をもって成功なのかも分からない。だからこそ決めつけるのは自由に反する」という意識に立脚していますから、何かの経路をたどることが正義であるという考え方、今回の場合は難関大学を出ていることが優秀なビジネスマンになる道であるという価値観にも明確に反対するのです。

 

大切なのは、個人の自由。

 企業にも選考基準を設定する自由があるのではないか?と考える人もいるかもしれません。しかし、私が重要視しているのはあくまで政府からも、資本家からも独立した個人です。そういった観点から考えた時、学歴という資格を設けてライン切りすることが正義なのか、再考されるべきなのではないでしょうか。